【公認心理師制度は今後定着すると思いますか?】

早速ですが本題に入らせて頂きます。

まず、どういった心理カウンセラーを目指すかによって、進む道は全く違ってくると思います。
その流れとして、大きく2つあるかと思います。

ただ言えることは、心理カウンセラーとして食べていくには今の日本社会ではかなり厳しいと言うのが現実です。
民間資格でも有名人(心屋さんなど)になりクライエントさんを獲得して生計を立てて行くひともいれば、心理学の先生(大学の教授・民間スクール先生)になり安定した収入を得られる状況でないと国家資格にせよ民間資格にせよ経済的には厳しいと思います。

私もしかり、クライエントさんを集客するのは本当に難しいです。私の場合は学会員になる方がまだ楽です。

そして、大学院に行き臨床心理士・公認心理師を志すか、臨床心理士・公認心理師以外の別な心理カウンセラーやカウンセリングの資格を取得するかの選択に分かれます(現在は、今年から出来る公認心理師が国家資格であとは全て民間資格です)。

【臨床心理士】
所管:認定機関は内閣府認可の公益財団法人

指定の心理士系の大学院(心理学・心理英語・心理統計・研究計画書(卒業研究))を目指し合格後、2年間通った後→「臨床心理士」(合格率 平均60~65%)
→就職(医療関連・教育・福祉関連・司法関連・産業関連・※個人開業)

医療関連:病院、診療所、保健所、精神保健センターなど
教育:学校相談室、スクールカウンセラー、教育センター、各種教育相談機関など
福祉関連:児童相談所、療育施設、心身障害者福祉センター、女性相談センター、障害者作業所、各種福祉機関など
司法関連:家庭裁判所、少年鑑別所、刑務所、少年院、保護観察所、警察関連など
産業関連:企業相談室、企業内健康管理センター、ハローワーク、障害者職業センターなど
※個人開業:個人的に開業している心理相談所、クリニック(医師の場合)

私の場合、個人開業の心理相談所になりますが、ものすごく厳しい世界です。個人開業で食べて行けるのは本当にひと握りです。私自身、まだ自分のカウンセリングルームを立ち上げたばかりですので、クライエントさんの集客に物凄く苦労しております。

【公認心理師】

所管:文部科学省・厚生労働省共管

河合塾KALS:公認心理師法が2017年9月15日にまでに施行

※特例として、法律施工前に心理士系の指定大学院を入学・終了した者は、特例処置として新設の国家資格の受験資格もしくは移行手続きで授与される見込み(移行期間5年間)。

公認心理師の場合、学部から心理学科の学部を卒業し、大学院に進む必要がある。
ただ、公認心理師が出来た場合、今後は臨床心理士の格付けや大学側の大学院のカリキュラムが臨床心理士から公認心理師へと移行されるものと思われる。

そして公認心理師を目指すために心理学部、そして大学院に行かれる場合は、自分の活躍したいフィールド(分野)の教授のいる大学院を選択する必要がある(これは臨床心理士の時と変わらず)。
勿論、大学院と言う学校で選ぶ部分(通学や学費や設備)もありますが、同様に自分の研究テーマ(卒業研究)に即した教授のいる大学を選ぶ必要があります。

もっと言えば、自分のやりたい研究テーマを扱っている教授に教わりに行くと言ったイメージです。
何故なら、大学院入学時の志望動機や研究テーマが行きたい大学や教授とマッチングしていなかったら合格しませんし、行く意味が無いからです。

そして発達心理学や発達障害関連、そして心理テストと言ったいわゆるテスターとしてなどの精神分析的なアセスメントを学ぶには、大学院でしか学べないことがあります。逆に心理療法(ワーク)やセラピーと言った側面を学ぶには、海外で最先端を研究しているアメリカやオーストラリアの心理療法家の博士号のひと達はから学んだほうが、今の日本の5~10年先の最先端の研究をされているので、その方たちの方がスキルやテクニック日本より進んでいます。

臨床心理士・公認心理師どちらにせよ、最初から個人開業を目指すのは厳しいです。
臨床心理士・公認心理師の資格は、日本の心理職の資格の中では一番認められている(認められることになる)ライセンスなので、個人開業以外の就職を目指す事をおすすめ致します(実力を付け、将来的に個人開業するのはありかもしれませんが)。

【その他】

所管:それぞれの民間団体に既存

はっきり言って乱立しているので、わたしは何処の民間カウンセリングスクールが良いかはっきりしたことは言えません。
ただ、民間カウンセリングスクールが教えていないことは、心理テストと発達障害関連です。
また、民間カウンセリングスクールでは、心理療法(ワーク)を教えてくれるところと、傾聴ぐらいしか教えてくれないところまで千差万別です。

医療関連の分野に進みたいのであれば、心理テストを勉強する必要があるかも知れません。その場合は、心理士系の大学院に行く必要があると思います。
児童に関わっていきたいと考えるなら、発達障害関連を勉強する必要があると思います。この場合も、心理士系の大学院に行く必要があるかもしれません。

私は、心理士系の大学院に行って臨床心理士になる道は諦めましたが、それはあくまで心理カウンセラーになる為の手段に過ぎなかったので、民間のカウンセリングスクールに行き、カウンセリングのスキルを勉強しました。

そして、心理療法(ワーク)の分野は全てスキルの世界です。心理士系の大学院で教えている心理療法や精神科医が行う精神療法はほんのごく一部です。
(昨年の8月に名古屋で行われた、「第13回 日本うつ病学会総会」に参加してその事がよくわかりました。)

心理学は、今から130年程前の1879年にドイツのライプチヒ大学でヴントが心理学実験室を創始したところから始まったまだ新しい学問です。
これから先も、新しい心理学や心理療法(ワーク)が開発されて脳科学などで証明されていく分野だと思っています。
ですので、わたしはこの分野を志した時から一生勉強だと思っています。

【Thanatology(死生学)】

Thanatology(死生学)について、哲学者、宗教学者それぞれが、自分の持論を展開されて、今日はとても有意義なサロンであった。

S名誉教授、O名誉教授、T名誉教授がそれぞれ、キリスト宗教の「トマス(トーマス)」の宗教学・・・つまりは、ローマ教皇のあり方について語ることなど普通では聴けない話が盛りだくさんでした。

【価値と存在の融合(宗教と哲学の融合)】
中世のトマス(トーマス)は、哲学者アリストテレス哲学とキリスト教神学を総合し、価値と存在の融合の根拠として神を持ち出す。

トマス(トーマス)によれば、「存在するものすべてが善い」。なぜなら、キリスト教の神は絶対的な善であり、その神が世界のすべてを無から創造したからである。さらに、善が善であるゆえんは、それが望ましいものだからである。ここで、「望ましい」ということは、「望まれている」ということではない。

たとえば、なにかが善いのは、我々がそれを望むからではない。むしろ、善は神によって客観的に実在するがゆえに、望まれるべきものなのである。

ここに最大の今の問題の宗教戦争(キリスト教vsイスラム教との対立が生まれる)

また、『存在と時間』で存在論的解釈学で有名な哲学者ハイデガーが残した名言から導きだされる本当の意味(解釈)は?!

「生きている世界は、自分の世界のそのときの状況がどうであるか、そしてそのときの状況から見てどうであるかによって、さまざまな仕方で現れてくる。生きている世界の内容を決めるのは、常に自分の世界の不安定な流動的な成立であり、その状況的性格である。」

マルティン・ハイデガー

【心理学・臨床心理学】
そうそう、また先日の心理士系大学院のセミナーで、哲学は「理屈だ!」と心理学の先生は言っていたが、哲学は「直観(インスピレーション)」と「感性」であると感じる。

所詮心理学の歴史は1879年にヴントによってライプチヒ大学の心理学実験室で始まった学問にすぎないまだ浅い学問である。

心理学という学問は、目に見えない心を様々な形でデータ化し、それを分析・解釈することで理論を形成していく学問であるというのが模範解答の様であるが…

臨床心理学の場では、また違うのではあるが…

自分は今、どこを目指しているのやら(笑)

【転移・逆転移】

心理学の中で、クライエントさんと密接な関係が構築されればされるほど、「転移」という現象は必ずと言っていい程、避けては通れない道であると思う。

クライエントさんがカウンセラーにクライエントさんの内的葛藤から生じる、カウンセラーへの非合理的な感情全般を「転移」と呼ぶのだが、「転移」には好意や恋愛感情を向ける「陽性転移」と、敵意や怒りを向ける「陰性転移」がある。

なので、カウンセラーは素性をクライエントさんに明かすべきではないと自分は思う。

あくまで、決められた時間の中で、ある意味特別な時間と空間を提供することで、お互いが安心して全てをさらけ出す事の出来る密室を作ることがカウンセラーとして自分の描く理想でもある。

とは言っても、現実はレンタルスペース、喫茶店でカウンセリングとして成立させている場合もあるのだが、自分としてはちょっと違うんではないかな~とも思ったりするのではあるが…

話を戻すと、この「陰性転移」については、いざとなったら警察のお世話になるかも知れないという覚悟を決めておく必要があるのかも知れない。

「陽性転移」については、どの様に受け止めるかで「逆転移」に豹変することもあるかも知れないし、面白くストーリーを描くなら、クライエントさんの「陽性転移」をカウンセラー側が反応して「逆転移」し、カウンセラーがクライエントさんを好きになるケースがあるかも知れない。

その為、「逆転移」したカウンセラーは中立性が失わせるため、「逆転移」の発生を防止すべきと考えられており、精神分析家(カウンセラー)は教育分析(自らクライエントさんとなりカウンセリングを受ける)ことが必要であると考えられている。

現在では、「逆転移」は少なからず生ずるものであり、むしろ心理面接に生かすべきと考えられているようである。大切なのはカウンセラー自身が、「逆転移」を自覚できているかどうかであり、それに振り回されることなく、なぜ自分に「逆転移」が生じているのか「自己洞察」することで、より深いクライエントさんの理解が可能になることを自覚することである。

とは言ってもカウンセラーも人の子であり、恋はするし、恋は盲目であったりするのではあるが…
人の心を扱う以上は…

フロイトの時代から、心理学に色恋の話しは耐えないのであるが…

『賢い人とは、自分の心をコントロールしている人であり、 愚かな人とは、逆にそれにコントロールされている人で ある』

ジェームズ・アレン

戒めの言葉だな!

【死生学(Thanatology)】

人間は、「どう生きるか」「どう死ぬか」と言う大きな問題と、宇宙から見たらほんの一瞬の限られた時間を如何に「より善く」生きるかである。

つまり哲学(Fhilosophia)は、「いかに善く生きるか」「いかに善く死ぬか」を自分で研究し、自分自身の人生のためにどう役立てるか…
また、自分以外の他者のためにどう役立てるかを考え、実行する方法を実際に現実の場で役立てるのが「哲学的スピリチュアルケア」です。

「死生学(Thanatology)」の研究は、哲学・医学・宗教学・神話・民俗学・社会学・社会福祉学・看護学・介護学・宇宙論・美学・芸術などの人間の生死に関わる全ての学問に関連しています。

人はなぜ生きなければならないのか、その謎を解くために人は生きているといっても過言ではありません。
難しい人生観、それでも人はその答えを求めているのです。
この人間のこころの奥底から湧いてくる渇きは、どんな世の中の快楽も、名誉も満たすことはありません。

それを霊魂の渇きの癒し、精神の救い、人格(人間性)の完成を研究して自己自身に、多くの人がお互いに協力し合うのが「哲学的スピリチュアルケア」の目的であると言うことは紛れもありません。

自己洞察+自己形成=自己コントロール(マネージメント)

自己洞察(汝自身を知れ)は、哲学的スピリチュアルケアの父である古代哲学者ソクラテスの第一の教えです。
これを達成すれば、人のスピリチュアル・ライフを知りケアすることが可能になります。
自分の身体・こころ・霊魂(ボディ・マインド・スピリット)を知ることから始める必要があり、これこそが哲学的スピリチュアルケアの中枢をなしています。

【スピリチュアルカウンセリングとは】

現代を生きる多くの人が、自分のこころの深いところで、スピリチュアルな次元、つまり魂(霊性)の次元の繋がりを失い、切り離され、その結果「どう生きればいいのか・・・」と確かさを得られないまま、日々を生きています。

「頭で」こう生きるのがいいだろう・・・
と考えてとりあえず、日々の生活を続けているものの、こころの深いところでは「これでいいのだ・・・」「私はこの方向に進んでいけばいいのだ・・・」という、「確かさの感覚」を得ることの出来ないまま、日々を過ごしているのです。

その結果、多くの現代人は必然的にこころの深いところで「不全感」を抱かざるを得なくなっています。

「どこか深いところで納得できないまま、生きている感じ・・・」
「生きていることの不確かさ」や「手ごたえのなさ」
「人生の方向喪失の感覚」
「絶えずつきまとう、漠然とした空虚感、無意味感」

ある角度から見ると、先進諸国に生きている現代人の大半は「軽うつ」状態にある。
と言うことになります。

わたしが、スピリチュアルな志向性を持つセラピストとして最も尊敬しているアーノルド・ミンデルも、「あらゆる地域で、人々は慢性的な軽い抑うつに悩まされている」と言っています。

おそらく、あなたが世界のどこに住んでいようと、周囲の人々の多くは自分の人生に何かが欠けていると感じるだろうし、それどころか人生とは本来特別な何かが欠けているものなのだと思い込んでいる人さえいるだろう。

休みの日が来ると、私たちはこのかすかな抑うつを最も一般的な形で感じることになる。
人生とは特別なものでなく、終わりまでひたすら生きるだけのものだ、と感じてしまうのである。

ミンデル『シャーマンズボディより』

【東日本大震災それから四年】

四年前の今日、長いようで短かった。
四年前の今日、3.11は確か引越しの荷物をまとめていた。

四年前の今日、今の自分はそれから成長しているだろうか?
そして、今現在変わらない生活をしていることは幸せなことだろうか?

被災者にとって、この四年間は自分と全く違う時間を過ごして来ただろう。
あまり、被災者だからとかそう言った意識をして来なかった自分は罪だろうか?

周りを見て、気遣うだけの余裕とその場限りの関わりで、中途半端な気持ちで関わるのは返って失礼な気がするのも、自分は天邪鬼だからだろう。

そんな事に思いを馳せながら、今年も息子、娘の小学校からの被災者への義援金にお金を気持ちの代わりに投入させて頂くのだが…

【「願望」と「欲望」の意識の違いから?】

辞書で調べると、「願望」とは願い望むこと。
と書いてある。つまり神頼み的だ。

一方、「欲望」とは欲しいと思うこころと書いてある。
つまり、自分の不足を満たそうと望むこころである。

「性的」「物的」「金的」意味合いが強いのは「欲望」になるであろう。

話を元に戻すと、どちらも望んでいるのは漢字からもわかるが。
片方は願掛けであり、「神頼みの望みである」。
しかし「欲望」を想像すると、エロティックに考えを膨らませる人が多いのも自然であろう。

人は、妄想や想像の域を超えなければ、犯罪や罪にはならない。
今のところは・・・

まぁー、十数年前のマトリックスの映画の世界では、記憶の仮想現実と現実の区別がわからなくなってしまい、何が本当で何が現実だか区別がつかなくなってしまったのだが…

何を言いたいかと申しますと、「善・悪」の区別や自分の言動を全て押し殺して、自分の中に抱え込んでいる人ほど、その負のエネルギーは巨大化し、いつの日か風船が破裂するかの如く、そのエネルギーを一瞬にして外に吐き出してしまう人がいるかも知れません。

ガス抜きを出来る人は、うまく自分をコントロール(マネージメント)しているのかも知れませんが、耐えに耐え、その兆候を見逃すと、とんでもない怪人をつくりあげているのかも知れません。

マトリックスは映画の世界であるが、時代が進めば人のこころをも読み取ることが可能になる日も、
そう遠くないのではないだろうか…

今、自分の頭の中で完結している情報は読み取られることはないであろう…
だが、思想の自由などが時代とともに奪われるおそれは、認識しておくべきではないだろうか…
自分で感じたこと、思ったことを素直に表現できなくなってしまったり、空気が読めない人…
自分もか?!

LD(学習障害)とかADHD(注意欠如多動性障害)とか増えているとは言うものの、よっぽどそっちのほうが純粋だったりするのかも知れない…
ある意味、自分を正当化しているのであるが(笑)

【スピリチュアルケアカウンセラーと名乗る理由】

私が心理カウンセラーの中でも、スピリチュアルケアカウンセラーと名乗る理由があるのは、霊的な健全をも含めて精神的な心理カウンセラーを目指しているからです。

WHOでは、1998年に「健康の定義」に「健康とは、身体的・精神的・霊的・社会的に満足のいく動的な状態をいい、単に疾病または病弱がみられないことではない」と定めた。

健康の定義に、スピリチュリティの側面を考慮すると言う姿勢は、実は1998年に始まった訳ではありません。
「霊的に満足いく状態」と言う表現は、既に1948年にWHOが現行の定義を決定しようとする時点で、原案に盛り込まれていたという事です。

「霊的に満足いく状態」という表現は、長く歴史の表舞台から姿を隠していただけだったのです。
その内容は、以下のようなものでした。

「スピリチュアルな治療は伝統医療の本質的な部分であり、スピリチュリティは健康の中枢をなすものである(この内容が省かれたのは、マルクス主義国家集団からの反論があったためと言われています)。」

そして再び、「健康における霊的側面の重要性」が指摘され、見直されるようになって来ました。
今、物質主義から唯物論的な自然観や人間観には少なからず共通するものがあります。

こうした流れの中で、世界的な伝統医療への回帰の傾向や「霊的に満足いく状態」の必要性を説く必要があります。
現在、世界の流れは「スピリチュリティ」をキーワードとした健康観にまつわる深刻な確執のさなかにいるのです。
その中には、もちろん「ホリスティック(統合医療・代替医療)」の観点も含まれています。

20140803

 

【解離性障害者について】

心理学の中でも、精神医療で解離性障害者、つまり「二重人格」や「多重人格」に興味を示される方も多いかも知れません。

「解離性障害」は本人にとって堪えられない状況を、離人症のようにそれは自分のことではないと感じたり、あるいは「解離性健忘」などのようにその時期の感情や記憶を切り離して、それを思い出せなくすることでこころのダメージを回避しようとすることから引き起こされる障害です。

その中でも「解離性同一性障害」は、その中でもっとも重く、切り離した感情や記憶が成長して、別の人格となって表に現れるものです。

少し前の映画ですが、『羊たちの沈黙』で天才精神科医にして連続殺人鬼でもあるハンニバル・レクターが人気を博したり、実在の解離性同一性障害者を描いた『24人のビリー・ミリガン』が有名だと思います。

【24人のビリー・ミリガンの内容を少し説明すると】

オハイオ州の強盗強姦(ごうかん)事件で逮捕・起訴されたビリー・ミリガンという名の男性が、心理学者と話す中、「ぼくはビリーじゃない」「ビリーは眠ってる」と言い出す。弁護士らが精神鑑定を求め、ビリー本人のほかに23もの人格を持つ解離性同一性障害者(当時は「多重人格者」)であることがわかる。

交代人格には女性や子供もいたが、彼の犯行は「フィル」「ケヴィン」など凶暴な人格によるものだった・・・
と言うような内容です。

先日、この「解離性二重人格(多重人格)」のケースについてのカウンセリングを検討してみた。
生理学的障害ではなく、心因性(ヒステリーなどのように、こころの状態、たとえば不安や願望などによって引き起こされるもの)の障害であり、「解離性障害」を発症する人のほとんどが幼児期から児童期に強い精神的ストレスを受けているとされている。

そのストレス要因として、一般にいわれるのは・・・

1)学校や兄弟間のいじめなど
2)親などが精神的に子供を支配していて、自由な自己表現が出来ないなどの人間関係のストレス
3)ネグレクト(児童虐待)
4)家族や周囲からの情緒的、身体的虐待、性的虐待
5)殺傷事件や交通事故などを間近に見たショックや家族の死など

また、愛着 (attachment) との関係。
幼児期の生育環境を愛着関係 (attachment) と解離性障害の関係も指摘されている。

ビリーという極端な多面性を持った存在、またそれぞれの交代人格たちが、あまりに生き生きと魅力的に描かれすぎていて、中には芸術家肌や外国人もおり、この障害が虐待からのサバイバルを目的として生じることを知らなければ、「ひとりでたくさんの人生を生きている人」というあこがれの対象にもなりかねない。

この作品が出版される前、80年代半ばから日本ではちょうど「私さがし」と呼ばれる自己探求、自己啓発のブームが起こっていた。しかし、誰も平凡な答えにたどり着きたいわけではない。

「私さがし」の潮流は自己愛と連結して次第に「私の中に眠る無限の可能性」を目指すようになり、さらに「多少ブラックであっても“実はすごい人”でありたい」と願う人も出てきた。と言う論評を精神科医の香山 リカさんは述べている。

そしてこう結んでいる・・・
臨床の場にも「私、多重人格かも」と訴える人たちが押し寄せるようになった。その中には、医学的にそう診断できる人と先ほどの「ブラックな私さがし」の答えとしてそこにたどり着いた人とがいた。

しかし、その境目はあいまいで、私は「もしあの本が出なかったら、多重人格はこれほどポピュラーな病にならないままだったのでは・・・」とも想像したのだ。

「私さがし」のブームは続き、95年には『ソフィーの世界』という哲学入門書がベストセラーとなったが、少女が「あなたはだれ?」と書かれた謎の手紙を受け取って、哲学探求の旅に出るという本書も「私さがし本」として読まれたのだろう。

生きていくのはつらい。
そして、「自分が思っているよりあなたはずっとすごい」と誰かに言ってもらいたい。
とはいえ「私さがし」は本の中の旅にとどめ、現実では平凡な自分をやさしく受け入れるべきではないかと私は個人的に思う。

そして、この「私さがし」は2014年ベストセラーになった岸見 一郎 先生のアドラー心理学『嫌われる勇気』にも同じことが言えて、いつの時代も「私さがし」という名の自己啓発に惹かれる人間という生き物を、心理学的に客観的に観ることができたのは、心理学に身を置いたことの収穫の一つでもある。

そうそう、本題の解離性障害者に対するカウンセリングはどうするのか?!
については、企業秘密です(笑)

【第5回ノーチラス会(双極性障がい当事者会)に参加して】

先日参加した第5回ノーチラス会「自殺について考える」の後の分科会で、「家族支援・家族の心の持ち方について」「社会資源(復職など)について」「地方会について」「薬について」のそれぞれのテーマに分かれて懇親会を行いました。

わたしは、「薬について」のテーマで睡眠障害と薬の服用について話をさせて頂きました。

皆さんそれぞれが、自分の服用している薬の処方のされ方や疑問点を出し合って、シェアしながらいろんな意見交換をすることが出来ました。

その中で感想としては、少しでも薬の量を減らしたいのだけど…
と言うことを、皆さんがお持ちであり、私の意見としては心理療法も選択枝のひとつではないかと感じました。

まだまだ、心理療法は保険適用している病院は少ないのですが、確か2010年に日本でも「認知療法」「認知行動療法」「マインドフルネ認知行動療法」などが、うつ病治療のひとつとして健康保険の適用となりました。
また、わたしは保険適用外になると思いますが、「森田療法」や他の心理療法なども有効であるように感じました。

ただその場合、主治医と相談して受けるべきか判断された方が良いと私は思います。
そして、心理カウンセラーとして一番大切なのは、希死念慮・自殺企図を抱く相談者(クライエント)さんをいかにまず留めるか、そして本人のみならず、家族へのサポートが大切だと私は思います。