【スピリチュアルケアカウンセラーとは?】

スピリチュアルケアカウンセラーを理解するうえで「哲学(Philosophy)」を理解しておく必要がある。

フィロソフィー(Philosophy)≒哲学

「フィロソフィー(Philosophy)」を日本語に訳すと「哲学」となるのですが、「哲学」が無なかった明治時代より前の日本人にとっては「フィロソフィー(Philosophy)」を理解出来ないのは到底無理も無いことである。

明治時代に入って西周 氏が海外(オランダ)で「フィロソフィー(Philosophy)」を勉強し「哲学」と訳したことから、日本の哲学は西周 氏が学んだ「哲学」が日本の「哲学」の土台となっています。

その「哲学」は「物質主義」「機械主義」「還元主義」「唯物論」「観念論」「科学的社会主義」(アリストテレス・デカルト・カント・マルクス)などの「唯物論的」な哲学で、「無知の知」「真の知恵」「真・善・美(Sophia)」「愛の探求(Philo)」「自発的に」「自由に」「自然に探求していく」「全人格的営み」「誓い」「スピリチュアル・ヒーリング」「瞑想の知なる無知」(ソクラテス、プラトン、ヒポクラテス、ナザレのイエス、ニコラウス・クザーヌス)と言った「観念論的」な哲学は、今の日本には残念ながら浸透していない。

私は尚徳学園との出逢いで、自分の病「精神障害(双極性障害)や発達障害」を見つめ直すのにいろいろな疑問が湧き、調べるきっかけを作ってくれました。

自分が何を大切に生きるかの「人生観」「死生学(Thanatology)」そして「哲学(Philosophy)」「心理学(Psycology)」「ホリスティック医学(医療)」そして「スピリチュアルケア」を学びました。

それは教わるものではなく、自分を探求する学問です。その為には、私も色々と自発的に他のセミナーや講習会などの勉強会に行ったり、学んだりしました。

その中で「ホリスティック医学(医療)」の思考の根底には:ホーリズム(Holism)ホリスティック教育の思想的原点であることがわかりました。

それはアリストテレスの「全体とは、部分の総和以上のなにかである」と言う表現に代表される「還元主義」に対立する考え方であり、アリストテレスの「還元主義」を否定したもので、プラトンの思想を継承しているが、プラトンは「イデア」こそが真の実在であるとした(実在形相説)を説きました。

アリストテレスは、可感的かつ形相が質料と不可分に結合した「個物」こそが基本的実在(第一実体)であり、それらに適応される「類の概念」を第二実体とした(個物形相説)を説きました。

さまざまな物体の特性を決定づけているのは、「温」と「冷」、「乾」と「湿」の対立する性質の組み合わせであり、これらの基礎には火・空気・水・土の四大元素が想定されています。

これはエンペドクレスの4元素論を基礎としているが、より現実や感覚に根ざしたものとなっています(物質主義)。

つまりアリストテレスは、彼の師プラトンのイデア論を継承しながらも、イデアが個物から遊離して実在するとした考えを批判し、師のイデアと区別して、エイドス(形相)とヒュレー(質料)の概念を提唱したのです。

私はこの「ホリスティック医学・医療」の教えは間違っていないと思いますが、ここでは主に「統合医学・医療」を中心とした考えまでに留まっており、人間の根本の「生き方」「あり方」「人生観」「死生学」「真・善・美」といった「哲学(Philosopy)」ある意味(倫理的・道徳的教育)や「哲学(Philosopy)」的要素が抜けている様に感じてなりませんでした。

そして今回「哲学的スピリチュアルケア」を勉強して、その本質を知り学ぶことが出来ました。

「哲学(Philosopy)」については前の段で述べましたので、スピリチュアル(Spiritual)について述べたいと思います。
Spiritualとは、魂・霊魂・霊(霊性)・精神(Spirit)として用いられます。

「物質論」に対して、非感覚的な生命を意味しており、さらにプラトンの言葉を引用すると、感情的心理を超越する理性的な霊魂で、不死の永遠なる生命体を意味します。

したがって、純粋な思考と非感覚的直感を持つ人格的生命の最高の存在を意味すると説明されています。

スピリチュアルが原初の宗教で有していた直感的なダイナニズム(スピリチュアルケア)で、「真理」に対する希求性(探求)で大事なことは3つ挙げられています。

1) 人格的(人間性)エネルギー
2) 神様との一体化(生命の誕生と死への還元)
3) ありがたさ、感謝、誓い、信念⇒誕生と死⇒すばらしいこと(神秘)⇒瞑想⇒祈り

そして何より、瞑想=スピリチュアル⇒意思、精神、自己のコントロール・マネージメント(意識・無意識) の礎であるということが言えると思います。

この「哲学的スピリチュアルケア」を学ぶうちに「臨床パストラルケア」に出逢い、「臨床パストラルケア」と言う新たな疑問が浮かんで来ました。

なぜ「臨床パストラルケア(心理法的なケア)」ではなく、「哲学的スピリチュアルケア」なのかと言う疑問です。

私はその疑問を晴らすべくインターネットで「臨床パストラルケア」について調べ、日本に「NPO法人 臨床パストラル教育センター」なる団体が存在し、そこでキッペス著の「スピリチュアルな痛み」という本を手にすることが出来ました。

まず「臨床パストラルケア」は「教会」が母体となっているので、「哲学的スピリチュアルケア」と大きく違う点は、「宗教心・信仰」を大切にしているという点です。

また「臨床パストラル教育」において「スピリチュアルケア」の定義は、以下のようにキッペス氏は言っています。

■スピリチュアルケアの定義

身体面、心理面、社会面、スピリチュアルな面を含む包括的な医療=全人的ケアにおいては、スピリチュアルケアの領域を明確にすることが必要不可欠である。

その為にはスピリチュアルケアを以下のように定義する。

スピリットに対するケアとは、他者(患者)が責任をもって自分自身の核を、そして核から自分らしく生きられる環境を提供し、本(物)者の自分自身になれるように援助することである。

その援助とは教えることではなく、他者(患者)自身の力を引き出すことである。それは手伝うことより手伝わせてもらうことである。そのために傾聴が中心的な要素である。

と書かれていました。患者に対する医学的スピリチュアル(ホスピタリティー)が「臨床パストラルケア」の中心であって、「善・悪」については書かれていますが、「哲学的スピリチュアルケア」の様な「死生学」「真・善・美」と言った人間本来の「生き方」「あり方」「人生観」までは述べられてはいませんでした。

■最後に、私自身の「スピリチュアルケア」について述べたいと思います。

まず、私自身のスピリチュアル(魂・霊魂・霊・霊性・精霊・精神)について考えてみると、私の魂(霊性)は霊魂不滅で、肉体は死(土に返っても)んでも魂(霊性)は死なないという、人間の「自由」や「真・善・美」とするプラトンの「イデア論」を信じています。

その中でも私がもっとも好きな、日本人には道徳的にも心に響く言葉として「真・善・美」と言う事を大切にしたいと思っています。

これは余談ですが、私個人的なことなのかも知れませんが、3つの言葉の漢字の並びとして「松・竹・梅」「衣・食・住」などありますが、この3つの語句の語呂合わせの響きが大きく影響しているのかもしれません。

また「哲学的スピリチュアルケア」では触れていない、「輪廻転生説」については、私自身は存在しないものであると信じています。

私自身のスピリチュアルが肉体と離れたとき(通常は死、中にはソクラテスの様に自由に解脱出来る人もいるかもしれないが)宇宙と一体化して、肉体は無くなれど魂・霊魂・霊(霊性)は宇宙と一体化して漂い続けると信じています。

そして、宗教的な話で言う「神」ですが、これは自分の魂(霊性)に司どっていて、霊(ダイモン)が常に自分の心と肉体を霊(ダイモン)=「神」が自分自身の中にいると言う事を私は信じています。

またそれは人間のみならず、あらゆる命ある生命に「神」が宿っているとわたしは信じています(自然宗教的な考え)。

「瞑想」について、「哲学的スピリチュアルケア」で頻繁に出てくる「瞑想」ですが、最初はこの漢字2文字の「瞑想」と言うものをどの様に捉えていいか理解出来ませんでした。

しかしこの「瞑想」こそが、「哲学的スピリチュアルケア」を理解する上で最も重要な一つであることが理解できる様になりました。

ソクラテス、プラトン、ナザレのイエスもこの「瞑想」により、スピリチュアル(魂・霊魂・霊性)を高めて、つまり仏教で言う「悟り」を開いたのだと思います。

つまり「瞑想」は、自分の中の霊(ダイモン)を磨くことであると私は感じました。その為の手段として、「瞑想」が重要であることも後の章から学びました。

またナザレのイエスやニコラウス・クザーヌスは宗教家ではあったが、偉大なスピリチュアル・パワーを持つ人物で、病気を治すスピリチュアル・パワーをも待ち合わせており、常に医療にも長けていたことがわかります。

つまり「瞑想」で磨かれた霊(ダイモン)を持つ者は、病や病気をスピリチュアル・パワーで治療することもできたのではないかと言えます(精神的・こころの悩みに対してのスピリチュアル・パワーだと私は解釈しております)。

そして「瞑想」について自分に置き換えてみると、15年程前に「うつ病・双極性障害」を発症したときの心理状態としてかなり不安定な状態で、誰でも迷いの一つや二つはあると思いますが、この「瞑想」で天地との一体から見たちっぽけな自分が、宇宙へとの同調していく有様、自分自身に揺るぎない信念をもたらしてくれる宇宙との創造(自己コントロール)が出来ていれば、違った方向に行っていたのかもしれません。

今からでも遅くはないと思って「瞑想」=「自己コントロール」を大切にすることを思いつつ「スピリチュアルケア」の教えを探求して行きたいと思っております。

そしてスピリチュアルケアを司る全ての根底は「人格(人間性)」です。
ですのでスピリチュアルケアカウンセラーと名乗る以上、常に自分の「人格(人間性)」を高める努力をする必要があると思っています。それが出来ない人が「スピリチュアルケアカウンセラー」と名乗る資格は私は無いと思っております。

それだけ、この「スピリチュアルケアカウンセラー」と名乗以上、自分自身を律して周りの模範となる行動や行いをする努力を常にする必要があると思います。またそれをしていかなければならないと思っております。