これはあくまで、客観的なわたしの目で述べさせて頂きますので、異論反論はもちろんあると思いますが、あえて書かせて頂きます。
今回、障害者施設「津久井やまゆり園」に侵入し19人を殺害、26人に重軽傷を負わせた植松 聖容疑者ですが、彼は間違いなく裁判で精神鑑定に持ち込み、「減罪」あわよくば「無罪」になる可能性もあるでしょう。
私は精神科医ではありませんが、心理学は少しかじってます。
そして、今度の11月に「第35回 医学哲学・倫理学会」でわたしは「尊厳死」と「安楽死」について登壇し、名誉教授・教授・准教授・研究者クラスの方に質疑応答を含めて30分お話させて頂きます。
植松 聖容疑者が供述の中で、「安楽死」について触れていたので、この点も話にのぼるかも知れませんが、過去にわたしはTwitterで「安楽死」の可否をとることをしたことがあります。
わたくしの想像をはるかに上回る人たちが、「安楽死」に対して容認する意見を書き込んでいました。わたしは、もちろんTwitterのコメントが民意を占めているとは思っていません。
しかし、この「安楽死」に対して、非常に軽々しく考えておられる方たちが多くいるのも事実で、今回の彼のような極端な思想を持っている人たち(特に若者)がいることを、私たちは受けとめる必要があるのではないでしょうか。