【無償の愛・博愛・慈愛・友愛・愛色々…】

いろいろな愛についてよく考えます。

【博愛】すべての人を平等に愛すること
【慈愛】親が子供をいつくしみ、かわいがるような、深い愛情
【友愛】兄弟間の情愛。また、友人に対する親しみの情。友情。友誼(ゆうぎ)

愛は考えるばかりではなく実行(実践)しなさい、このように言われるのも最もであることは分かります。
しかし、愛について考え思うとき、ほとんどの愛は、その者が持つ条件ゆえへの愛と言えないでしょうか?

その人自身ということがどういうことであるのか分かりません。
その人自身を愛するのではなく、その人の持つ何らかの要素を愛しているだけだと言えるかもしれません?

その人の持つ、優しさだったり、美しさだったり、心の清さだったり、誠実さだったり…
つまりそれは、条件付きの愛と言えませんかね?

日本語で「愛」と言ったとき、それは「感情としての愛」のことを指すと思います。

でも、「アガペー」を調べてみると、ギリシア語には「愛」を表現する言葉が基本的には3つ+1つあり、アガペー(真の愛)、フィリア(隣人愛)、エロース(性愛)、ストルゲー(家族愛)である。
と書いてあります。

このうち、キリスト教が最も重視して頻繁に登場するのは「アガペー(真の愛)」だそうです。
では、「アガペー(真の愛)」ってどんな愛なのでしょうか?

「アガペー」という言葉は、本当は「愛」と訳されるべきではなかったそうです。
日本語では、「大切にする」「大事にする」と訳されるべきものであったそうです。

つまり・・・

「神様があなたを大事にしてくれるように、あなたもあなたの隣人を大事にしなさい」
「自分を大事にするように、あなたの隣人を大事にしなさい」

「あなたの敵も、大事に扱いなさい」
と言うことをイエスはおっしゃったのでしょう。

「憎んでいる相手を、感情として愛せ」
と言う無理難題ではないそうです。

だから、キリスト教で言う「愛」=「アガペー」=「大事にすること」
=「神様が、良い人にも悪い人にも分け隔てなく食べ物や着るものを与えて大事にしてくれるような、愛」

と理解すれば良いと思います。

「あなたが例え嫌いな相手でも、大事にしなさいよ」
であれば、努力すればなんとか出来ないこともないのかなと思います。