プラトン以前の古代ギリシアにおいては、美しい詩を創作するなどの芸術行為により、「美悪合一」から「美善合一」なる(神)へと二次的に近づくものとみなされておりましたが、その後のプラトンによって、感覚美(直感美)と共に道徳的な精神美までもが理論化されるに至りました。
プラトンの考えの最も中心は、人間のさまざまな「真理」の根源は、世界が何であるか、という事実のうちにではなく、「真善美」という価値的なものの存在本質のうちにあるという考えです。
プラトンの「真実在」はイデアですが、イデアとは真善美の根拠をなすものです。
「ほんとう」とか「美」とか「善」の本質は、世界がそれ自体として何かという問いの枠組みの中では決して答えられない。 それは新しい本質学を必要とする。ところがそれは自分たち人間のもつ言葉では、なかなか簡単に答えられないので、仕方がないから神話の形で語るほかない。
これがプラトンの基本の構えです。プラトンが真善美という人間の価値審級の本質をどう考えていたのかは、彼のエロス論や恋愛論を読めばよくわかります。彼がエロス論、恋愛論を哲学の中心主題として設定したということも、彼の思考の独自性をよく表現しています。
【エロス】
①愛。真善美の認識に至る衝動として、プラトンによって用いられた語
②性的な愛
であるが、ここでの「愛」は、エロスの愛とアガペー(利己的欲求や私的感情を超越した自己犠牲・献身を惜しまない『博愛的な恋愛』)の愛をわたしは指し示したい。
真善美は人間の理想である。真と善と美そして愛。それぞれ学問・道徳・芸術そしてエロスの追求目標といえる。三つの大きな価値概念としてエロスが博愛まで達したのが究極の理想ではないか。
それは、つまり「神」かもしれない。