【尚徳学園との出逢い】

私が尚徳学園に出逢い、哲学的スピリチュアルケアを受講するまでの経緯から説明したい。最初の出会いは、尚徳学園で2013年10月のセミナー「~生きにくい世の中を”より善く生きる”ために~  心を強くし、身体も元気にする【坂本式 心と体の健康法】セミナー」に参加したことから始まる。

それまでの私は、自分の病「うつ病、双極性障害」と13年の間、向き合って来たつもりではいたが、なかなかそこから脱却することができず、体調を崩す日も度々あった。そんな中でこのセミナーに出逢い、そして月に1回行われる「とまり木の会」にも足を運ぶこととなった。

まず、私の今までの13年間を振り返ってみることとする。私がある会社に勤めているときに、部署の変更、結婚、引越しなどが重なり(13年程前)体調の不振を感じ、会社の健康相談に電話して事情を話した。しかし会社の対応は遅くなり、自ら「うつ状態」であるという認識を持ったので心療内科に行きました。そして案の定、「うつ病」と診断され二週間の自宅療養を言い渡されました(今考えると、その時点でスピリチュアルケアがきちんとなされていれば病状は悪化しなかったかもしれません)。

その2週間は、会社に行かなければと言う焦りと、不安で寝つけない夜を過ごしました。そして2週間が過ぎ会社に復帰したものの自分の思いと裏腹に、焦りだけが募り何をやっても空回りするような状況でした。それを見かねた上司が、元の所属部署に戻るよう配置転換して頂いたのですが、その時の病状はかなり深刻な「うつ状態」でした。

しかし、配置転換して頂いた上司の手前もあるので「うつ病」を言い訳とすることもできず。自分の中の葛藤や忸怩たる思いを募らせて行きました。そんな中、私が自分の家族へ与えるストレスや負担を減らすため、私の両親の元に戻って生活することになり今に至っております。実家に帰ってからは、通勤時間や残業などでさらに悪化し「うつ病」から「双極性障害」と病名も変化し悪化の一途をたどって、上司と喧嘩別れするような形で退職することになりました(7年前頃)。

それからは自宅療養の日々が続き、躁状態の時は、気に食わないことがあれば物にあたったり、大音量で音楽を流したり、高額の買い物をしたりして、家族や近所の方にご迷惑をお掛けしました。また、うつ状態の時は、布団から出られず何日間か食事とトイレ以外は布団の中にいる様な生活をしていました。そんな状態がひどい時に、1度精神病棟に入院しました(2週間ぐらい居ました〈居るのが嫌で天井を壊したことで、無理やり出て来たのですが・・・〉)。

そして2度目は、ベルトを首に括り付け自殺を図ったのを家族が見つけて、1度目とは違う精神病院に入れられたのですが、4週間ぐらいで落ち着いて出ることが出来ました。その間、精神病棟ではまず、保護室と呼ばれる(拘置所・留置所の様な所かな?)に最初の2~3日は入れられて人間としての扱いはされず、ここでもスピリチュアル的な治療(スピリチュアルケア)が全くと言っていい程なされませんでした。それからは、体調の良い日は普通に生活を送り、体調が悪い時は1~2週間ぐらい寝込むといった生活を送っていました。

ようやくここ半年ぐらいで、薬の加減も合うようになり、少しは普通の生活ができるようになっている状態です。それまでは、いつ体調を崩すかと言う不安との戦いでした。

長々と説明してしまいましたが、これが今日まで続き、最近「尚徳学園」と出逢い、特に「とまり木の会」との出逢いで自分の中に変化がもたらされ、哲学的スピリチュアルケアを深く学んで行くきっかけになったことは言うまでもありません。