哲学的スピリチュアルケアを理解するうえで、哲学について理解しておく必要がある。
・フィロソフィー(Philosophy)≒哲学
フィロソフィー(Philosophy)を日本語で理解することは、哲学の無い日本人にとっては到底無理もないことであるが、西 周氏が「哲学」と訳したことで、日本の哲学は西 周氏がオランダから学んだ哲学が日本の「哲学」の土台となったことは言うまでもない。
フィロソフィー(Philosophy)を理解する上で、物質主義、機械主義、還元主義、唯物論、観念論、科学的社会主義(アリストテレス、デカルト、カント、マルクス)とは違い、無知の知、真の知恵、真善美(Sophia)、愛の探求(Philo)、自発的、自由に、自然に探求していく全人格的営み、誓い、スピリチュアル・ヒーリング、瞑想の知なる無知(ソクラテス、プラトン、ヒポクラテスまたナザレのイエス、ニコラウス・クザーヌス)と言った「本当の哲学」は、今の日本には残念ながら浸透してはいない。
私は尚徳学園との出逢いで、自分の病を見つめ直すうちにいろいろな疑問が湧き調べるきっかけを作ってくれて、自分の中から生まれる疑問に対して答えを探すべく、まず最初に、今年の1月に受講した「ホリスティック医学」のセミナーを受講した。
その中での「ホリスティック医学」の思考の根底には:ホーリズム(Holism)ホリスティック教育の思想的原点である。アリストテレスの「全体とは、部分の総和以上のなにかである」と言う表現に代表される還元主義に対立する考え方である事を教わった。
これは、アリストテレスの還元主義を否定したもので、プラトンの思想を継承しているが、プラトンは「イデア」こそが真の実在であるとした(実在形相説)であったが、アリストテレスは、可感的かつ形相が質料と不可分に結合した「個物」こそが基本的実在(第一実体)であり、それらに適応される「類の概念」を第二実体とした(個物形相説)。
さまざまな物体の特性を決定づけているのは、「温」と「冷」、「乾」と「湿」の対立する性質の組み合わせであり、これらの基礎には火・空気・水・土の四大元素が想定されている。これはエンペドクレスの4元素論を基礎としているが、より現実や感覚に根ざしたものとなっている(物質主義)。
つまりアリストテレスは、かれの師プラトンのイデア論を継承しながらも、イデアが個物から遊離して実在するとした考えを批判し、師のイデアと区別して、エイドス(形相)とヒュレー(質料)の概念を提唱したのである。 私は、この「ホリスティック医学」の教えは間違っていないと思いますが、ここでは、主に「統合医療」を中心とした考えまでに留まっており、人間の根本の生き方、あり方、死生学(Thanatology)、真善美といった哲学ある意味(倫理的・道徳的教育)、哲学的要素が抜けている様に感じてならなかった。
哲学については前の段で述べたので、スピリチュアル(Spiritual)について考えていきたい。
・Spiritualは、霊、霊性、精神(Spirit)として用いられ物質論に対して、非感覚的な生命を意味しており、さらにプラトンの言葉を引用すると感情的心理を超越する理性的な霊魂で、不死の永遠なる生命体を意味する。したがって、純粋な思考と非感覚的直感を持つ人格的生命の最高の存在を意味すると説明されている。
スピリチュアルが原初の宗教で有していた直観的なダイナニズム(スピリチュアルケア)、真理に対する希求性(探求)で大事なことは3つ挙げられる。
- 人格的エネルギー
- 神様との一体化
- ありがたさ、信念(誓い)⇒生・死⇒すばらしいこと(神秘)≒瞑想の礎であるということが言えるのではないだろうか。
この哲学的スピリチュアルケアを学ぶうちに臨床パストラルケアに出逢い、臨床パストラルケアと言う新たな疑問が浮かんだ。なぜ、臨床パストラルケア(心理法的なケア)ではなく、哲学的スピリチュアルケアなのかと言う疑問である。
私は、その疑問を晴らすべくインターネットで「臨床パストラルケア」について調べ、日本に「NPO法人 臨床パストラル教育センター」なる団体が存在し、そこで、キッペス著の「スピリチュアルな痛み」という本を手にすることができた。
まず「臨床パストラルケア」は教会が母体となっているので、哲学的スピリチュアルケアと大きく違う点は、宗教心、信仰を大切にしているかどうかが大きいと思われる。また臨床パストラル教育において、スピリチュアルケアの定義は以下のようにキッペス氏は言っている。
・スピリチュアルケアの定義
身体面、心理面、社会面、スピリチュアルな面を含む包括的な医療=全人的ケアにおいては、スピリチュアルケアの領域を明確にすることが必要不可欠である。その為にはスピリチュアルケアを以下のように定義する。
スピリットに対するケアとは、他者(患者)が責任をもって自分自身の核を、そして核から自分らしく生きられる環境を提供し、本(物)者の自分自身になれるように援助することである。その援助とは教えることではなく、他者(患者)自身の力を引き出すことである。それは手伝うことより手伝わせてもらうことである。そのために傾聴が中心的な要素である。
と書かれていました。患者に対する医学的スピリチュアル(ホスピタリティー)が臨床パストラルケアの中心であって、善、悪については書かれていますが、哲学的スピリチュアルケアの様な死生学(Thanatology)、真善美、と言った人間本来の生き方、あり方までは述べられてはいませんでした。
最後に、私自身のスピリチュアルについて考えてみる。
まず、私自身のスピリチュアル(霊、精霊、精神)について考えてみると、私の魂は霊魂不滅で、肉体は死んでも魂は死なないという人間の自由や真善美とするプラトンのイデア論を頷けます。その中でも、私がもっとも好きな日本人には、道徳的にも心に響く言葉として「真・善・美」と言う事を大切にしたいと思うのである。
これは、余談ですが、私個人的なことなのかも知れませんが、3つの言葉の漢字の並びとして「松・竹・梅」、「衣・食・住」などありますが、これは3つの語句の語呂合わせの響きが大きく影響しているのかもしれません。
また、哲学的スピリチュアルケアでは触れていない輪廻転生説については、私自身は霊魂(霊性)については存在しないものであると思っています(肉体は土に帰ると思っています。肉体は物質としてみるので、その意味では肉体のみ輪廻転生すると言えるかも知れません)。
私自身のスピリチュアルが肉体と離れたとき(通常は死、中にはソクラテスの様に自由に解脱出来る人もいるかもしれないが)宇宙と一体化して、肉体は無くなれど魂(霊性)のみは漂い続けると信じています。
そして宗教的な話で言う神ですが、これは自分の魂(霊性)に司どっていて、霊(ダイモン)が常に自分の心と肉体を霊(ダイモン)=神が自分自身の中にいると言う事を私自身は信じています(誰もが産まれた時から「神の子」です)。
瞑想について、哲学的スピリチュアルケアで頻繁に出てくる瞑想ですが、最初はこの漢字2文字の「瞑想」と言うものをどの様に捉えていいか理解できませんでした。しかし、この「瞑想」こそが、哲学的スピリチュアルケアを理解する上で最も重要な一つであることが理解できる様になりました。
ソクラテス、プラトン、ナザレのイエスもこの瞑想により、スピリチュアル(霊性)を高めて、つまり仏教で言う悟りを開いたのだと思うのです。つまり瞑想は自分の中の霊(ダイモン)を磨くことであると私は感じました。その為の手段として、瞑想が重要であることも、後の章から学んだのです。
また、ナザレのイエスやニコラウス-クザーヌスは宗教家ではあったが、偉大なスピリチュアル・パワーを持つ人物で、病気を直すスピリチュアル・パワーをも待ち合わせており、常に医療にも長けていたことがわかります。つまり、瞑想で磨かれた霊(ダイモン)を持つ者は、病や病気をスピリチュアル・パワーで治療することもできたのではないかと言えます(精神的病やこころの病についてであると、私は解釈しています)。
これはおそらく、今で言う心理学的な能力を身に付けていたのではないかと思います。ナザレのイエスやニコラウス・クザーヌスと言った宗教家のベースは「フィロソフィア」です。そして心理学は、宗教とフィロソフィア(哲学)に密接に関係しています。つまり、宗教家は心理学者でもあり哲学者でもあったと言えます。
そして瞑想について自分に置き換えてみると、13年程前に「うつ病」を発症したときの心理状態としてかなり不安定な状態で、誰でも迷いの一つや二つはあると思うが、この「瞑想」で天地との一体から見たちっぽけな自分が、宇宙へとの同調していく有様、自分自身に揺るぎない信念をもたらしてくれる宇宙との創造(自己コントロール・マネージメント)ができていれば、違った方向に行っていたのかもしれません。
今からでも遅くはないと思って「瞑想」=自己コントロール(マネージメント)を大切にすることを思いつつ締めくくらせて頂きます。
【哲学的スピリチュアルケア】初歩の初歩
哲学者ソクラテス、プラトンといった「汝、自身を知れ」「無知の知」「愛の探求」「真善美」と言ったイデア論(自在形成説)の哲学を根底とし、通常はスピリチュアルと言うと、大抵の人は「スピリチュアルな場所や空間の霊的なもの」をイメージしがちですが…
スピリチュアルを訳すと本来、「精神」ということで、人間は、「体」(ボディ)、「心」(マインド、感情)そして「精神」(人間性、精神、人格を高める)ものから成り立っており、特に「精神」(スピリチュアルのケア、人格のケア)が大切であるという教えのもと、ホリスティック的かつ統合医療や医学哲学・倫理学・心理学といった幅広い観点から死生学について学ぶことを示しております。
※イデア・・・プラトン哲学の中心概念で、理性によってのみ認識される実在。感覚的世界の個物の本質・原型。また、価値判断の基準となる、永遠不変の価値。近世以降、観念、また理念の意となる。
※自在形成説・・・プラトンは「イデア」こそが真の実在であるとした(実在形相説)が、アリストテレスは、可感的かつ形相が質料と不可分に結合した「個物」こそが基本的実在(第一実体)であり、それらに適応される「類の概念」を第二実体とした(個物形相説)。さまざまな物体の特性を決定づけているのは、「温」と「冷」、「乾」と「湿」の対立する性質の組み合わせであり、これらの基礎には火・空気・水・土の四大元素が想定されている。これはエンペドクレスの4元素論を基礎としているが、より現実や感覚に根ざしたものとなっている。