【公認心理師制度は今後定着すると思いますか?】

早速ですが本題に入らせて頂きます。

まず、どういった心理カウンセラーを目指すかによって、進む道は全く違ってくると思います。
その流れとして、大きく2つあるかと思います。

ただ言えることは、心理カウンセラーとして食べていくには今の日本社会ではかなり厳しいと言うのが現実です。
民間資格でも有名人(心屋さんなど)になりクライエントさんを獲得して生計を立てて行くひともいれば、心理学の先生(大学の教授・民間スクール先生)になり安定した収入を得られる状況でないと国家資格にせよ民間資格にせよ経済的には厳しいと思います。

私もしかり、クライエントさんを集客するのは本当に難しいです。私の場合は学会員になる方がまだ楽です。

そして、大学院に行き臨床心理士・公認心理師を志すか、臨床心理士・公認心理師以外の別な心理カウンセラーやカウンセリングの資格を取得するかの選択に分かれます(現在は、今年から出来る公認心理師が国家資格であとは全て民間資格です)。

【臨床心理士】
所管:認定機関は内閣府認可の公益財団法人

指定の心理士系の大学院(心理学・心理英語・心理統計・研究計画書(卒業研究))を目指し合格後、2年間通った後→「臨床心理士」(合格率 平均60~65%)
→就職(医療関連・教育・福祉関連・司法関連・産業関連・※個人開業)

医療関連:病院、診療所、保健所、精神保健センターなど
教育:学校相談室、スクールカウンセラー、教育センター、各種教育相談機関など
福祉関連:児童相談所、療育施設、心身障害者福祉センター、女性相談センター、障害者作業所、各種福祉機関など
司法関連:家庭裁判所、少年鑑別所、刑務所、少年院、保護観察所、警察関連など
産業関連:企業相談室、企業内健康管理センター、ハローワーク、障害者職業センターなど
※個人開業:個人的に開業している心理相談所、クリニック(医師の場合)

私の場合、個人開業の心理相談所になりますが、ものすごく厳しい世界です。個人開業で食べて行けるのは本当にひと握りです。私自身、まだ自分のカウンセリングルームを立ち上げたばかりですので、クライエントさんの集客に物凄く苦労しております。

【公認心理師】

所管:文部科学省・厚生労働省共管

河合塾KALS:公認心理師法が2017年9月15日にまでに施行

※特例として、法律施工前に心理士系の指定大学院を入学・終了した者は、特例処置として新設の国家資格の受験資格もしくは移行手続きで授与される見込み(移行期間5年間)。

公認心理師の場合、学部から心理学科の学部を卒業し、大学院に進む必要がある。
ただ、公認心理師が出来た場合、今後は臨床心理士の格付けや大学側の大学院のカリキュラムが臨床心理士から公認心理師へと移行されるものと思われる。

そして公認心理師を目指すために心理学部、そして大学院に行かれる場合は、自分の活躍したいフィールド(分野)の教授のいる大学院を選択する必要がある(これは臨床心理士の時と変わらず)。
勿論、大学院と言う学校で選ぶ部分(通学や学費や設備)もありますが、同様に自分の研究テーマ(卒業研究)に即した教授のいる大学を選ぶ必要があります。

もっと言えば、自分のやりたい研究テーマを扱っている教授に教わりに行くと言ったイメージです。
何故なら、大学院入学時の志望動機や研究テーマが行きたい大学や教授とマッチングしていなかったら合格しませんし、行く意味が無いからです。

そして発達心理学や発達障害関連、そして心理テストと言ったいわゆるテスターとしてなどの精神分析的なアセスメントを学ぶには、大学院でしか学べないことがあります。逆に心理療法(ワーク)やセラピーと言った側面を学ぶには、海外で最先端を研究しているアメリカやオーストラリアの心理療法家の博士号のひと達はから学んだほうが、今の日本の5~10年先の最先端の研究をされているので、その方たちの方がスキルやテクニック日本より進んでいます。

臨床心理士・公認心理師どちらにせよ、最初から個人開業を目指すのは厳しいです。
臨床心理士・公認心理師の資格は、日本の心理職の資格の中では一番認められている(認められることになる)ライセンスなので、個人開業以外の就職を目指す事をおすすめ致します(実力を付け、将来的に個人開業するのはありかもしれませんが)。

【その他】

所管:それぞれの民間団体に既存

はっきり言って乱立しているので、わたしは何処の民間カウンセリングスクールが良いかはっきりしたことは言えません。
ただ、民間カウンセリングスクールが教えていないことは、心理テストと発達障害関連です。
また、民間カウンセリングスクールでは、心理療法(ワーク)を教えてくれるところと、傾聴ぐらいしか教えてくれないところまで千差万別です。

医療関連の分野に進みたいのであれば、心理テストを勉強する必要があるかも知れません。その場合は、心理士系の大学院に行く必要があると思います。
児童に関わっていきたいと考えるなら、発達障害関連を勉強する必要があると思います。この場合も、心理士系の大学院に行く必要があるかもしれません。

私は、心理士系の大学院に行って臨床心理士になる道は諦めましたが、それはあくまで心理カウンセラーになる為の手段に過ぎなかったので、民間のカウンセリングスクールに行き、カウンセリングのスキルを勉強しました。

そして、心理療法(ワーク)の分野は全てスキルの世界です。心理士系の大学院で教えている心理療法や精神科医が行う精神療法はほんのごく一部です。
(昨年の8月に名古屋で行われた、「第13回 日本うつ病学会総会」に参加してその事がよくわかりました。)

心理学は、今から130年程前の1879年にドイツのライプチヒ大学でヴントが心理学実験室を創始したところから始まったまだ新しい学問です。
これから先も、新しい心理学や心理療法(ワーク)が開発されて脳科学などで証明されていく分野だと思っています。
ですので、わたしはこの分野を志した時から一生勉強だと思っています。

【声劇】猫カフェ アルヨ♪

【声劇台本】猫カフェ アルヨ♪

《自分でやってみたアルヨ!、ご参考にどうぞアルヨ!》

【以下台本】

《コラボ完成バージョン》
🐰うさこ(古畑)
🐻ヒロシ(古畑)

《猫カフェにて》

🐰うさこ「ご主人様!」「ようこそ猫カフェ タンゴへ」「ご注文は、如何致しましょうか?」
🐻ヒロシ「あぁー、何時もの頼むよ…」

🐰うさこ「すいません」「何時ものって、なんでしたっけ…?」
🐻ヒロシ「うさこ」「俺の何時もの注文、覚えてないのか…」

🐰うさこ「すいません、ご主人様!」
🐻ヒロシ「うさこ」「このお店、猫カフェだよなぁ…」

🐰うさこ「はい、ご主人様!」
🐻ヒロシ「思ったんだが、お前のその耳は何だ?」

🐰うさこ「コレですか…」「わたし、うさこだから、ウサギの耳であるタンゴ!」
🐻ヒロシ「ここは、メイドカフェだよなぁ?」

🐰うさこ「はい、ご主人様!」
🐻ヒロシ「うさこ」「ではその、アルヨって何だ?」

🐰うさこ「すいません、ご主人様!」「わたし、アルヨって、言ってません…」
🐻ヒロシ「では、何と言ったんだ…?」

🐰うさこ「ウサギの耳で、あるタンゴ!」
🐻ヒロシ「ほーら見ろ」「今アルヨって、言ったではないか…」

🐰うさこ「わたし、アルヨなんて、言ってないタンゴ!」
🐻ヒロシ「誤魔化すでない、今アルヨって言ったなぁ…」

🐰うさこ「言ってないたら、言ってないタンゴ!」
🐻ヒロシ「もう良い」「ところで何故、バニーガールの耳付けてんだ?」

🐰うさこ「わたし、うさこだから…」
🐻ヒロシ「そうか…」「今日は、メイド服にウサギの耳か…?」

🐰うさこ「はい、ご主人様!」「何か問題でも、あるタンゴ!」
🐻ヒロシ「わかったわかった、早く俺の何時ものカフェ・オ・レを…」

🐰うさこ「かしこまりました、ご主人様!」
🐻ヒロシ「ようやく、俺の何時ものカフェ・オ・レ アルヨ!」

🐰うさこ「ご主人様、今アルヨって…?」
🐻ヒロシ「俺は、ヒロシ アルヨ!」

🐰うさこ「お待たせしました、ご主人様!」「カフェ・オ・レ アルヨ!」
🐻ヒロシ「うさこ」「今アルヨって言ったなぁ…」

🐰うさこ「猫カフェだから、猫の恩返しアルヨ!」

【声劇】高校野球、場内アナウンス♪

【声劇台本】高校野球、場内アナウンス♪

《自分でやってみましたので、ご参考にどうぞ》

【以下台本】

《場内アナウンス(ウグイス嬢)》

「お待たせ致しました」「甲子園球場決勝戦」「木更津キャッツアイ高校 対」
「ルーキーズ高校の試合を開始致します」

「一回表、木更津キャッツアイ高校」「選手の紹介を致します」

「1番、セカンド」「相葉くん、相葉くん」
「2番、レフト」「二宮くん、二宮くん」
「3番、ショート」「松本くん、松本くん」
「4番、ファースト」「櫻井くん、櫻井くん」
「5番、サード」「大野くん、大野くん」
「6番、キャッチャー」「岡田くん、岡田くん」
「7番、センター」「佐藤くん、佐藤くん」
「8番、ライト」「塚本くん、塚本くん」
「9番、ピッチャー」「妻夫木くん、妻夫木くん」

「試合開始まで」「しばらくお待ちください」

【声劇】吹奏楽部、部長より♪

【声劇台本】吹奏楽部、部長より♪

《自分でやってみましたので、ご参考にどうぞ》

【以下台本】

《部長セリフ》

「春には、先輩である僕らは卒業する」
「楽しかった、学生時代」

「もう君達、後輩に会う事も無いかも知れない」
「だから僕らは、君達に伝えておきたい事が有るんだ」

「吹奏楽部で、一緒に切磋琢磨した」「あの時の事を思い出して欲しい」
「僕ら三年生にとっては」「君達は、まだまだ伸びしろが有ると思うんだ」

「そして頑張って、今まで僕ら先輩に付いて来てくれたよね」
「夏の野球部の大会の応援」「一緒に汗を流したね」

「秋の吹奏楽コンクールでは」「優勝目指して、頑張ったね」
「先輩の僕らが伝えたい事は」「諦めないと言う、強い意志なんだ」

「そして僕らも、この吹奏楽部の伝統」「『威武堂々』を貫いて来たんだ」
「だから今度は」「君達がこの伝統を守り、頑張って欲しい」

「そして最後に、三年生全員から」「この曲を君達に送る」
「行進曲『威武堂々』第1番♪」

【スピリチュアルケアカウンセラーとは?】

スピリチュアルケアカウンセラーを理解するうえで「哲学(Philosophy)」を理解しておく必要がある。

フィロソフィー(Philosophy)≒哲学

「フィロソフィー(Philosophy)」を日本語に訳すと「哲学」となるのですが、「哲学」が無なかった明治時代より前の日本人にとっては「フィロソフィー(Philosophy)」を理解出来ないのは到底無理も無いことである。

明治時代に入って西周 氏が海外(オランダ)で「フィロソフィー(Philosophy)」を勉強し「哲学」と訳したことから、日本の哲学は西周 氏が学んだ「哲学」が日本の「哲学」の土台となっています。

その「哲学」は「物質主義」「機械主義」「還元主義」「唯物論」「観念論」「科学的社会主義」(アリストテレス・デカルト・カント・マルクス)などの「唯物論的」な哲学で、「無知の知」「真の知恵」「真・善・美(Sophia)」「愛の探求(Philo)」「自発的に」「自由に」「自然に探求していく」「全人格的営み」「誓い」「スピリチュアル・ヒーリング」「瞑想の知なる無知」(ソクラテス、プラトン、ヒポクラテス、ナザレのイエス、ニコラウス・クザーヌス)と言った「観念論的」な哲学は、今の日本には残念ながら浸透していない。

私は尚徳学園との出逢いで、自分の病「精神障害(双極性障害)や発達障害」を見つめ直すのにいろいろな疑問が湧き、調べるきっかけを作ってくれました。

自分が何を大切に生きるかの「人生観」「死生学(Thanatology)」そして「哲学(Philosophy)」「心理学(Psycology)」「ホリスティック医学(医療)」そして「スピリチュアルケア」を学びました。

それは教わるものではなく、自分を探求する学問です。その為には、私も色々と自発的に他のセミナーや講習会などの勉強会に行ったり、学んだりしました。

その中で「ホリスティック医学(医療)」の思考の根底には:ホーリズム(Holism)ホリスティック教育の思想的原点であることがわかりました。

それはアリストテレスの「全体とは、部分の総和以上のなにかである」と言う表現に代表される「還元主義」に対立する考え方であり、アリストテレスの「還元主義」を否定したもので、プラトンの思想を継承しているが、プラトンは「イデア」こそが真の実在であるとした(実在形相説)を説きました。

アリストテレスは、可感的かつ形相が質料と不可分に結合した「個物」こそが基本的実在(第一実体)であり、それらに適応される「類の概念」を第二実体とした(個物形相説)を説きました。

さまざまな物体の特性を決定づけているのは、「温」と「冷」、「乾」と「湿」の対立する性質の組み合わせであり、これらの基礎には火・空気・水・土の四大元素が想定されています。

これはエンペドクレスの4元素論を基礎としているが、より現実や感覚に根ざしたものとなっています(物質主義)。

つまりアリストテレスは、彼の師プラトンのイデア論を継承しながらも、イデアが個物から遊離して実在するとした考えを批判し、師のイデアと区別して、エイドス(形相)とヒュレー(質料)の概念を提唱したのです。

私はこの「ホリスティック医学・医療」の教えは間違っていないと思いますが、ここでは主に「統合医学・医療」を中心とした考えまでに留まっており、人間の根本の「生き方」「あり方」「人生観」「死生学」「真・善・美」といった「哲学(Philosopy)」ある意味(倫理的・道徳的教育)や「哲学(Philosopy)」的要素が抜けている様に感じてなりませんでした。

そして今回「哲学的スピリチュアルケア」を勉強して、その本質を知り学ぶことが出来ました。

「哲学(Philosopy)」については前の段で述べましたので、スピリチュアル(Spiritual)について述べたいと思います。
Spiritualとは、魂・霊魂・霊(霊性)・精神(Spirit)として用いられます。

「物質論」に対して、非感覚的な生命を意味しており、さらにプラトンの言葉を引用すると、感情的心理を超越する理性的な霊魂で、不死の永遠なる生命体を意味します。

したがって、純粋な思考と非感覚的直感を持つ人格的生命の最高の存在を意味すると説明されています。

スピリチュアルが原初の宗教で有していた直感的なダイナニズム(スピリチュアルケア)で、「真理」に対する希求性(探求)で大事なことは3つ挙げられています。

1) 人格的(人間性)エネルギー
2) 神様との一体化(生命の誕生と死への還元)
3) ありがたさ、感謝、誓い、信念⇒誕生と死⇒すばらしいこと(神秘)⇒瞑想⇒祈り

そして何より、瞑想=スピリチュアル⇒意思、精神、自己のコントロール・マネージメント(意識・無意識) の礎であるということが言えると思います。

この「哲学的スピリチュアルケア」を学ぶうちに「臨床パストラルケア」に出逢い、「臨床パストラルケア」と言う新たな疑問が浮かんで来ました。

なぜ「臨床パストラルケア(心理法的なケア)」ではなく、「哲学的スピリチュアルケア」なのかと言う疑問です。

私はその疑問を晴らすべくインターネットで「臨床パストラルケア」について調べ、日本に「NPO法人 臨床パストラル教育センター」なる団体が存在し、そこでキッペス著の「スピリチュアルな痛み」という本を手にすることが出来ました。

まず「臨床パストラルケア」は「教会」が母体となっているので、「哲学的スピリチュアルケア」と大きく違う点は、「宗教心・信仰」を大切にしているという点です。

また「臨床パストラル教育」において「スピリチュアルケア」の定義は、以下のようにキッペス氏は言っています。

■スピリチュアルケアの定義

身体面、心理面、社会面、スピリチュアルな面を含む包括的な医療=全人的ケアにおいては、スピリチュアルケアの領域を明確にすることが必要不可欠である。

その為にはスピリチュアルケアを以下のように定義する。

スピリットに対するケアとは、他者(患者)が責任をもって自分自身の核を、そして核から自分らしく生きられる環境を提供し、本(物)者の自分自身になれるように援助することである。

その援助とは教えることではなく、他者(患者)自身の力を引き出すことである。それは手伝うことより手伝わせてもらうことである。そのために傾聴が中心的な要素である。

と書かれていました。患者に対する医学的スピリチュアル(ホスピタリティー)が「臨床パストラルケア」の中心であって、「善・悪」については書かれていますが、「哲学的スピリチュアルケア」の様な「死生学」「真・善・美」と言った人間本来の「生き方」「あり方」「人生観」までは述べられてはいませんでした。

■最後に、私自身の「スピリチュアルケア」について述べたいと思います。

まず、私自身のスピリチュアル(魂・霊魂・霊・霊性・精霊・精神)について考えてみると、私の魂(霊性)は霊魂不滅で、肉体は死(土に返っても)んでも魂(霊性)は死なないという、人間の「自由」や「真・善・美」とするプラトンの「イデア論」を信じています。

その中でも私がもっとも好きな、日本人には道徳的にも心に響く言葉として「真・善・美」と言う事を大切にしたいと思っています。

これは余談ですが、私個人的なことなのかも知れませんが、3つの言葉の漢字の並びとして「松・竹・梅」「衣・食・住」などありますが、この3つの語句の語呂合わせの響きが大きく影響しているのかもしれません。

また「哲学的スピリチュアルケア」では触れていない、「輪廻転生説」については、私自身は存在しないものであると信じています。

私自身のスピリチュアルが肉体と離れたとき(通常は死、中にはソクラテスの様に自由に解脱出来る人もいるかもしれないが)宇宙と一体化して、肉体は無くなれど魂・霊魂・霊(霊性)は宇宙と一体化して漂い続けると信じています。

そして、宗教的な話で言う「神」ですが、これは自分の魂(霊性)に司どっていて、霊(ダイモン)が常に自分の心と肉体を霊(ダイモン)=「神」が自分自身の中にいると言う事を私は信じています。

またそれは人間のみならず、あらゆる命ある生命に「神」が宿っているとわたしは信じています(自然宗教的な考え)。

「瞑想」について、「哲学的スピリチュアルケア」で頻繁に出てくる「瞑想」ですが、最初はこの漢字2文字の「瞑想」と言うものをどの様に捉えていいか理解出来ませんでした。

しかしこの「瞑想」こそが、「哲学的スピリチュアルケア」を理解する上で最も重要な一つであることが理解できる様になりました。

ソクラテス、プラトン、ナザレのイエスもこの「瞑想」により、スピリチュアル(魂・霊魂・霊性)を高めて、つまり仏教で言う「悟り」を開いたのだと思います。

つまり「瞑想」は、自分の中の霊(ダイモン)を磨くことであると私は感じました。その為の手段として、「瞑想」が重要であることも後の章から学びました。

またナザレのイエスやニコラウス・クザーヌスは宗教家ではあったが、偉大なスピリチュアル・パワーを持つ人物で、病気を治すスピリチュアル・パワーをも待ち合わせており、常に医療にも長けていたことがわかります。

つまり「瞑想」で磨かれた霊(ダイモン)を持つ者は、病や病気をスピリチュアル・パワーで治療することもできたのではないかと言えます(精神的・こころの悩みに対してのスピリチュアル・パワーだと私は解釈しております)。

そして「瞑想」について自分に置き換えてみると、15年程前に「うつ病・双極性障害」を発症したときの心理状態としてかなり不安定な状態で、誰でも迷いの一つや二つはあると思いますが、この「瞑想」で天地との一体から見たちっぽけな自分が、宇宙へとの同調していく有様、自分自身に揺るぎない信念をもたらしてくれる宇宙との創造(自己コントロール)が出来ていれば、違った方向に行っていたのかもしれません。

今からでも遅くはないと思って「瞑想」=「自己コントロール」を大切にすることを思いつつ「スピリチュアルケア」の教えを探求して行きたいと思っております。

そしてスピリチュアルケアを司る全ての根底は「人格(人間性)」です。
ですのでスピリチュアルケアカウンセラーと名乗る以上、常に自分の「人格(人間性)」を高める努力をする必要があると思っています。それが出来ない人が「スピリチュアルケアカウンセラー」と名乗る資格は私は無いと思っております。

それだけ、この「スピリチュアルケアカウンセラー」と名乗以上、自分自身を律して周りの模範となる行動や行いをする努力を常にする必要があると思います。またそれをしていかなければならないと思っております。

【第13回 日本うつ病学会総会in名古屋を終えて】

「第13回 日本うつ病学会総会」in名古屋も終わり、シンポジウムの内容をブラッシュアップしております。
今回参加させて頂いた「日本うつ病学会総会」は、初めての参加でした。他の学会にも参加させて頂いているのですが、各学会により雰囲気が全く違うと言う印象を受けたでしょうか。

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わたしは、5日(金)の午前、午後と2回、6日(土)の午前、午後と2回の計4回質問させて頂きました。
5日(金)は、うつ病関連、6日(土)は、双極性障害関連のシンポジウムでしたので、それらの内容に関するテーマのセミナーでした。また、お昼はランチョンセミナーと称して、製薬会社さんが用意したお弁当を食べながらセミナーを受けました。

尚、手前味噌ですが8月28日14:00~ 第1回「とまり木カフェ」in新宿を企画しておりますので、今回の学会で聴いてきた内容をお伝えできればと思っております。
第1回 「とまり木カフェ」in 新宿08月28日(日)参加者募集!

どうぞ、宜しくお願い致します。

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【第13回 日本うつ病学会総会in名古屋】

名古屋で8月5日(金)~6日(土)にかけて行われます「第13回 日本うつ病学会総会」に参加致します。
http://www.c-linkage.co.jp/jsmd13/

この学会の内容を、第1回「とまり木カフェ」in新宿のイベントにてサロン形式で報告(解説)とディスカッションできればと思っております。
https://spiritual-cs.com/news/tomarigi-cafe20160828/

■わたくしの学会のスケジュールをお伝え致します。

8月5日(金)

09:00~11:20 児童思春期のうつ病 第3会場(小ホール2)
S3-1 思春期のうつ病
S3-2 児童期のうつ病
S3-3 女児にみられるうつ ~臨床上の留意点~
S3-4 学齢前のうつ病

11:40~12:40 気分障害の病態生理解明への道筋(ランチョンセミナー1)

15:50~17:50 大うつ病性障害について-策定からアップデート、課題及び今後の方向性- 第1会場(大ホール)
S5-1 「治療計画の策定」について
S5-2 軽症および中等症重症うつ病のガイドライン
S5-3 児童思春期のうつ病の診断・治療反応からみた非定型性
S5-4 うつ病患者の睡眠障害とその対応
S5-5 うつ病性障害ガイドラインの課題と今後の方向性

18:00~18:50 双極性障害の原因解明に向けて ~現状と課題~(イブニングセミナー1)

8月6日(土)

09:00~11:00 双極性障害における併発障害とその治療 第4会場(展示場802-804)
BS-1 認知機能障害
BS-2 不安障害について
BS-3 双極性障害と発達障害
BS-4 診断不可知論に基づく治療ー双極性障害と境界性パーソナリティ障害
BS-5 気分障害と依存

11:10~12:10 うつ病に対する精神療法のエビデンス(教育講演1)

12:30~13:30 成人期AD/HDのより適正な診断と症状評価
-気分障害の合併を考察する-(ランチョンセミナー6)

14:20~16:20 双極性うつ病治療の進歩と最新のトピックス 第1会場(大ホール)
S10-1 双極性うつ病の急性期治療のエビデンス
S10-2 双極性うつ病の再発予防治療のエビデンス
S10-3 概日リズム睡眠障害に着目した双極性障害の診断と治療
S10-4 混合性うつ病の治療

以上の予定になっております。
第1回「とまり木カフェ」in新宿では、これらの内容についてお話できると思いますので、皆様のご参加お持ちしております。
https://spiritual-cs.com/news/tomarigi-cafe20160828/

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【津久井やまゆり園の事件について②】

最後に、「津久井やまゆり園」での今回の事件で、「障害者」「精神障害者」について考える良いきっかけを植松 聖容疑者は提起してくれたことは間違いない。

表向きは「障害者」「精神障害者」などについて、みんな差別など無いと言うかも知れないが、
こころの中では本当はどう思っているかなど計り知れないし、詭弁を言っている可能性もある。

精神鑑定で、精神科医が彼の精神状態を推し量るなど、到底無理であろう。
なぜなら、精神科医が患者側になって精神病院に入院したことなどないからだ。

少なくとも、わたしは2回精神病院に入院したことがあるが、わたしだって彼のことを全て理解することなど到底できない。

「障害者」「精神障害者」などが、今の社会で社会復帰するのは並大抵ではない。
それは、年齢が上がれば上がるほど難しく、生活保護を受給して生計を立てている人が多い現実を、上の人間は放置してきたのが現実だ。

社会全体が今回の事件で、「精神障害者」などを排除するような動きを取れば、ますますこのような悲惨な惨事が起こりかねない。
作業所などへの嫌がらせが起こらないことを、心からお祈り致します。

~この件は、ここまで~

【津久井やまゆり園の事件について①】

これはあくまで、客観的なわたしの目で述べさせて頂きますので、異論反論はもちろんあると思いますが、あえて書かせて頂きます。

今回、障害者施設「津久井やまゆり園」に侵入し19人を殺害、26人に重軽傷を負わせた植松 聖容疑者ですが、彼は間違いなく裁判で精神鑑定に持ち込み、「減罪」あわよくば「無罪」になる可能性もあるでしょう。

私は精神科医ではありませんが、心理学は少しかじってます。
そして、今度の11月に「第35回 医学哲学・倫理学会」でわたしは「尊厳死」と「安楽死」について登壇し、名誉教授・教授・准教授・研究者クラスの方に質疑応答を含めて30分お話させて頂きます。

植松 聖容疑者が供述の中で、「安楽死」について触れていたので、この点も話にのぼるかも知れませんが、過去にわたしはTwitterで「安楽死」の可否をとることをしたことがあります。

わたくしの想像をはるかに上回る人たちが、「安楽死」に対して容認する意見を書き込んでいました。わたしは、もちろんTwitterのコメントが民意を占めているとは思っていません。

しかし、この「安楽死」に対して、非常に軽々しく考えておられる方たちが多くいるのも事実で、今回の彼のような極端な思想を持っている人たち(特に若者)がいることを、私たちは受けとめる必要があるのではないでしょうか。

【汝自身を知れ】

「汝自身を知れ」とは、古代哲学者ソクラテスの言葉です。

なぜ「他人」ではなく「自分」なのか?
それは「自分」ほど正しく見られないものはないからです。

人って、生涯、自分の本当の顔を自分で見ることはできないですよね。
鏡に映っている姿も、あくまで光の反射で映し出されたものであり、他人が見ているあなたの本当の顔とは異なります。

つまり、あなたが思い描いている「自分」と、現実に存在するあなた自身は決して同一ではなく、自分では正しく見ているつもりでも、傍から見ればずいぶん違っていたりするわけです。

では、なぜ自分を正しく知る必要があるのでしょう?
それは、自分が本当に求めるものを理解しない限り、何を得ても幸せにはなれないからです。

そしてまた、自分自身の弱さ、脆さ、こころの癖、好きなもの、苦手なもの、良い面も悪い面も含めて理解していないと、望まぬ事が起きた時、「どうして、どうして?」と慌てふためき、落ち込んでしまう。

自分という人間を知っていれば、「こういう状況になれば、こう感じるだろう」と予測できることも、自分自身に対して無知であるが為に、必要以上にこころを乱され、周りを恨んだり、自信を無くしたりしてしまうわけです。

アルバイト一つとっても、「対人的な業務は苦手」と知っていれば、レストランや販売のような仕事は考慮するでしょう。

でも、自分で苦手なことが分かっていなければ、「時給がいいから」「お洒落だから」という理由で飛びついてしまう。
そして、苦手な業務に神経を消耗し、「私はもっと出来るはずなのに」と落ち込み、厳しい指導をする職場の先輩を逆恨みする。

そうした「自分に対する無知」は、アルバイトに限らず、恋愛でも、友人でも、趣味でも、そう。

人間は、自分が本当に欲するものに向かわない限り、決してこころが満たされることはないし、自分自身を正しく理解しなければ、たえず周囲や物事に翻弄され、無意味に苦しむばかりなのです。

おそらく、世の多くの人間は、「自分を知る」ことより、他人のあら探しの方が得意。
自省より批判の方が、より気持ちを落ち着かせてくれるものだと思います。

そうして、他に目が向いている限り、自分とじっくり向き合うことはできないし、年をとるほどに、自分を知ることが恐ろしくなっていくでしょう。
そうなると理屈ばかりが身について、「頑固な人」と思われるようになるのです。

こころが柔軟な若いうちに、苦い思いも味わいながら、「自分を理解すること」に努めた方が、うんと生きやすくなるのです。
そうして、自分を理解する過程で、物事の限界を知ったり、身の程を知ることもあるでしょう。

人が「徳」と呼ぶ知恵や謙虚さは、多くの場合、自分の至らなさから勝ち得るものです。
自分の中に弱いところやイヤな部分がたくさん見つかったからといって、何も恐れることはないのです。

私たちは生涯、「自分自身」と付き合ってゆかねばなりません。
人生は道であり、「自分」という車を楽しくドライブするには、車の機能やクセを詳しく知っておく必要があると思うのです。