【心理カウンセラーの心得】

昨晩は、アルコールも入っていたせいか、家に帰ってから今後の自分の立ち位置や未来予想図(直近の予想ではありますが…)を少し書かせて頂きました。

心理カウンセラーとしてやっていく以上、マニュアルなんてありません。
一期一会で、その瞬間、そのタイミングで人は変われるときもあると思うのです。

そう言った意味では、相談者(クライエント)さんと直接あってどういった状況か、問題を抱えているか察する(これはある意味、日本的ではあるのですが…)ことも日本人である限り必要になってくると思うのです。

いろんな心理療法はありますが、どの心理療法を使えば相談者(クライエント)さんに有効かは、最終的に決めるのは相談者(クライエント)さんだと私は思います。選択肢を相談者(クライエント)さんに説明して、相談者(クライエント)さん自らが納得した選択する(インフォームド・コンセント)がベストではないかと私は感じております。

相談者(クライエント)さんから電話やメールでコンタクトをとってきた時から、既にカウンセリングは始まっていると私は思います。ですので、普段会社で営業の電話を受けたり、コールセンターの電話応対とは全く違うと私は思っております。
それは、「素」でいて且つ「信頼関係(ラポール)」が、そこから既に始まることを意識する必要があるのではないかと感じているからです。

そう言った意味では、心理カウンセラーはON・OFFの区別をきちんと整理して、相談者(クライエント)さんからの差し入れ等は、基本的に受け取ってはいけない。
また、それで便宜を図ろうだとか。

なんてことをしたら、心理カウンセラーとしての透明性(信頼関係)が雪崩のごとく崩れると私は思います。
そう言う立場であると言うことを、十分に理解というかけじめをつけて、心理カウンセラー(スピリチュアルケアカウンセラー)としてやって行きたいと思っております。

【カウンセラーがクライエント(相談者)さんに何を望むか?】

昨日は、カウンセリングスクールのはしごをしてきました。

1つは、今通っているカウンセリングスクールの精神医療に関するコンテンツの勉強会でしたが、もう一箇所は無料セミナーとして参加させて頂きました。

わたしは、比較するほどカウンセリングスクールや心理士系大学院を見て回ったわけではないですが、同じ心理学を学ぶにあたり、ゴール(カウンセラーになり相談者(クライエント)さんと対峙し相談者(クライエント)の問題を良い方向に向かわせる。

または、寛解の方向に向かわせる)は同じはずなのに、ゴールへの道程の考え方(立ち位置)が全く違うアプローチであることに昨日のセミナーを通して驚かされました(当然といえば当然で、治り方が何通りもあれば、治し方も何通りもあると言う話なのですが…)。

しかし共通する点も幾つかあり、そのひとつに相談者(クライエント)さんは、結局のところ「自分の人生は、自分で決めるしかない」と言うことです。

これは、自分自身も身につまされる思いではあるのですが、今まで生きてきた中でどれだけ自分ひとりで、誰の相談もせずに人生の岐路における選択をしてきたのか考えてみたところ、親の意見に縛られ、家庭に縛られ、本当の自分の生き方の選択をして来ただろうか…?

と改めて感じさせられました。

そう言った呪縛から自分の選択肢や可能性が摘み取られて生きてきてしまったのは、安に依存することで責任転嫁する理由(つまり言い訳)であり、自立・自律した自分を生きていないせいなのではないか…
と言う、こころの甘えみたいな物があったのだと思います。

その葛藤を乗り越えた(乗り越えようとしている)自分が、今現在自分の病(双極性障害・躁うつ病)から脱するきっかけではないかと感じてなりません。

心理学を志したのも、学ぶことで自分の病をもっと知ろう、理解しようと言うところから始まったのですが、「人にイイことをしたら、自分も気持ちイイ…」って思えるところと同じような発想で、「人を良くしてあげたら、自分もよくなるんじゃん…」って気が今はします。

まだまだ言い表せていない部分もありますが…
そうそう、4月から私もスピリチュアルケアカウンセラーとして自分の道を選択しましたので、今後とも宜しくお願い致します。

【心理カウンセラーの立ち位置】

2016年4月から心理カウンセラー(スピリチュアルケアカウンセラー)、スピリチュアルケア講師に向けて、改めて自分の立ち位置というか、相談者(クライエント)さんとどう向き合うか考えさせられる今日この頃です…

心理カウンセラーはあくまでも、相談者(クライエント)さんの人生において客観的に携わり、相談者(クライエント)さんの人生の機微に少しだけ関わり、お手伝いをするような存在でありたいなぁー
なんて思ったりしております…

相談者(クライエント)さんの人生は、心理カウンセラーが背負うことなど到底できません。
ただ、ほんの一瞬の気づきを相談者(クライエント)さんに与えて、あとは相談者(クライエント)さんが自ら模索していかに気づきを与えるか…

これに尽きると私は思います。

全ては、相談者(クライエント)さん自身の問題であって、わたしがどれだけ介入すれば良くなるというものでもなく、ある距離感を保ちながら相談者(クライエント)さんと接して、相談者(クライエント)さんの力を信じられるか、また時にはどれだけ見守ることができるかにつきるのではないでしょうか…

そんなことを考えながら、自分自身も自己洞察して成長できればと思う次第です。

【スピリチュアルケアカウンセラーになるにあたって】

来年(2016年)の4月からカウンセラー(スピリチュアルケアカウンセラー)及びスピリチュアルケア講師になる予定です。

今年の初めの目標として、心理士系の大学院合格に向け勉強し、臨床心理士になると言う目標だったのですが、これについてはカウンセラーになる手段であって目的ではないです。
と言ってしまうと、言い訳のように感じるかもしれませんが現在、カウンセラー専門学校を含め3箇所で学ばして頂いております。

そして、專門学校のカウンセリングスクールが順調に行けば来年の3月に卒業でき、「認定心理カウンセラー」という資格がいちおう頂ける事になります。それは、とりあえずカウンセリングを行うために必要な肩書きであって、やはりカウンセラーとしてやっていくための手段に過ぎません。

何を言いたいかと言いますと、資格はあくまでも相談者(クライエント)さんの信頼を得るための肩書きに過ぎないと言う事を言いたいのです。私が一番大切にしているのは、私がどの様に相談者(クライエント)さんと向き合い、どれだけ自己洞察でき成長していけるかだと思うのです。

今現在、わたしをカウンセラー(スピリチュアルケアカウンセラー)、スピリチュアルケアの講師として必要としてくれている所はまだありません。しかし、今は来年3月の「認定心理カウンセラー」の資格に向け、また心理学の本を1冊でも多く読み、自己の気づきと潜在意識にある己の集合無意識を顕在意識化して、自己洞察できるかを大切にしながら勉学に励みたいと思います。

NLP(神経言語プログラミング)や催眠療法(エリクソン催眠)にも、自己の幅を広げるために来年は学んでいこうと思っております。そして、来年の10月に心理士系大学院を再び目指すかは、考えたいと思います。

「Rome was not built in a day.」(ローマは一日にして成らず…)

【トランスパーソナル心理学】

トランスパーソナル心理学は、身体と心のみならず、魂(霊性)やスピリチュアリティの次元まで含んだ、本当の意味で全人的でホリスティックな人間存在を視野に入れた心理学です。

トランスパーソナル心理学=現代心理学+スピリチュアリティ

これまでの心理学とトランスパーソナル心理学の最大の違いは、魂(霊性)とかスピリチュアリティと言われる次元をはじめて心理学の枠内の中心テーマとして取り込んだことにあります。世界の様々なスピリチュアルは、今は宗教に深く関わり、さまざまなスピリチュアルが宗教の中に存在します…

私は、自然宗教・多神教・無宗教と言う日本人に合う道徳心として、「哲学」に基づく「哲学的スピリチュアル」のカウンセラーを目指しています。

死生学(Thanatology)、つまりは人間の「生きる意味」を見出し、そして死と言う「終末」をどう受け止め、これらに携わる人たちのこころや魂(霊性)の癒しになれる様なカウンセラーでありたいと思っております。

来年は、自己の成長と一人のカウンセラー、そして講師として自分の立ち位置に責任と少しでもお役に立てるよう頑張りたいと思います。

【人の「魂」と「霊」には違いがあるのか? どこが違うか?】

「魂」と「霊」との違いは何でしょう?

「霊」と言う言葉は、人間の非物質的な部分にだけ使われます。
人間は「霊」を持っていますが、「霊」ではありません。
しかしながら、聖書は信じる者だけが、つまり聖霊が内在する人だけが「霊的に生きている」と言っています。

人間の中で、「霊」は神との親しい関係を持つことを可能にする 要素なのです。
「霊」という言葉が使われているときは、必ず「魂」も含めて人間の非物質的な部分のことを言います。

「魂」という言葉は、非物質的な部分だけではなく、物質的な部分をも指して使われています。
人が「霊」を持っているのとは違って、人が 「魂」なのです。

その最も基本的な意味では、「魂」とは「いのち」なのです。
しかし、聖書はただの「いのち」というだけではなく、もっと多くの領域を示します。

その領域のひとつに、人は罪を犯す傾向があります。
人間は生まれつき悪いので、その結果、人の「魂」は罪により汚れています。
肉体が死ぬとき、いのちの原則は取り除かれます。

「魂」という言葉が使われているときは人そのものであり、またその人が生きていようが死んだ後であろうが、人全体を指すこともあります。

「魂」と「霊」は霊的いのちについて使われるときは、ほとんど同じような意味に使われます。
その言及の仕方において違っています。つまり「魂」は、人のこの世との関係において横の見方です。
しかし、「霊」は神との縦の関係においての見方になのるです。

両方とも人間の非物質的な部分を指すのですが、「霊」の部分だけが人の神との歩みを指すのだと言うことを理解するのは重要だと私は思います。
「魂」とは、物質的・非物質的な部分も含めて、人のこの世における歩みのことを言っているのだと、言えるのではないでしょうか…

【音楽療法@リラ自然音楽:No2】

昨晩に続き、心理学の音楽療法【音楽療法@リラ自然音楽】について説明させて頂きたいと思います。

「リラ自然音楽」は元々、草木が奏でる高周波を人間の聞こえる可聴波にする様なことから、始まったのがきっかけだとお話させて頂きました(本当にそうかは私も信じがたいのですが…)。

実際に、YouTubeに公開されている曲が1曲ありましたので、ご紹介させて頂きます。
その前に、人間の聴くことの出来る可聴領域を説明したいと思います。

■人が聴き取れる周波数(可聴領域)は?

私たち人間が音として聴き取れる周波数はおおよそ20Hz(ヘルツ)から2万Hz(20kHz)と言われています。
高い周波数帯域の可聴限界は年齢とともに下がり、高齢になると1万Hz(10kHz)以上の音はだんだん聴こえにくくなってきます。
動物たちの可聴領域は広く、イルカやこうもりなどは、20万Hzの音まで聴くことができるそうです。

と言うことで、この「リラ自然音楽」はペットにも癒しの効果があるとのことです。
ペットを飼っている方は、ぜひ試しに聴かせてみてください。

【自然の歌】「レモンの歌」アカペラ 青木由有子

【音楽療法@リラ自然音楽:No1】

先日、心理学の中でも「音楽療法」の分野について講習会を受けてきました。

元々、睡眠障害、うつ病と言ったメンタルヘルスやストレス、自律神経に良いとされるCDは何枚か買いあさり聴いてはいたのですが、イマイチしっくりくるものがありませんでした。

そして今回、「音楽療法」の講習を受けたのですが、はっきり言って私はなめていました。しかし、実際に聴いて「リラ自然音楽」は予想と全く違いとても共感できました。

元々、草木が奏でる高周波を人間の聴こえる可聴波にする様なことから始まったのがきっかけだと、その講師の方は言っていました(本当にそうかは私も信じがたいのですが)。
いわゆる、スピリチュアル的な部分の話になるのかも知れません。

その方(青木 由有子さん)が実際に歌われている唄(草木が奏でる音を翻訳して聲にだす)のだそうですが、実際にYouTubeで公開しておりますので聴いてみました。

私が思ったのは、草木などの自然が奏でる音を歌っているとすると、データ(YouTube・CD 等)では伝えきれないのではないかという点です。その意味は、どうしてもデジタタル化してデータファイルにすると、作成する機械が拾える高周波や可聴波の周波数までしか伝えることが出来ないと思うからです。

クラッシクにしろ、ジャズにしろ、J-POPにしろ、演歌など全ての意味において、生演奏(ライブ)にはデータ音声に無い臨場感や、その日の演奏家や歌手(シンガー)の感性や現れると私は思うからです。
ですから私は、いい意味でアナログ的な真空アンプを使用して、レコードで聴くのが最もマイルドな音楽や音声を奏でてくれるのでないかと思っております。

【森田療法(急)】

最後にもう一度、「目的本位」の重要な点を振り返ってみることにしよう。

1.自分の生きてきた時間、自分が置かれている空間(性格形成を含む)を含めて、自分の存在を正しく認識する。
2.自分の苦悩が、「とらわれ」に陥っていないかどうかを検証する。
3.不安や葛藤の性質を顧みて、とらわれていることがわかったならば、その「とらわれ」の内容を整理し、それを「あるがまま」に認める。
4.自分の「真の欲望」が何なのかということをじっくり考え感じてみる。
5.自己の人間としての欲望、つまり「生の欲望(生きると言う)」を実現するために、目的本位の行動とる。
6.以上の様な思考・感情・行動を通じて、自己実現 ・自己確立をはかる。
7.人間としての自由を求め、それなりの自分の個性を生かし、創造的な生き方を試みる。

【森田療法(破)】

「いま」「ここ」に生きる

人間は”苦悩存在”といわれるように、生きている以上、何らかの苦悩を引き受けながら生きなければならないのである。
また、病むことなく生きるということもあり得ず、刻一刻と老いていく道を歩んでいるのであり、そして死に至る存在である。

このような事実、あるいは現象から、人間が逃れられないとすれば、それもまた「あるがまま」に受け入れるしかない。
そうしたことを受け入れればこそ、「今」「ここ」に生きる現実が、より大切な時間・空間として我々の前に現前してくるのである。

そのとき、我々は何らかの生きている意味を見つけ、人間として有意義な生き方をしようという「目的本位」の行動の重要さを自覚させられる。

わたしは、過去における自分自身の「とらわれ」から脱しようと努めた体験と、「あるがまま」にの認識を通して、自己の欲望を真に生かし、目的本位の行動をまがりなりにも取れるようになったことを、自己の人生の経験の中で非常に重要なことであったと信じております。